恵林寺の紹介

恵林寺の歴史は、室町時代この地に在った地蔵山延命寺の地蔵菩薩立像と、何時の時代かこの寺の近くを流れていた木曽川の岸辺に流れ着いた一体の薬師如来木像を土地の人が信仰の中心として奉じてきたことから始まりました。薬師如来像を祀った「瀬部の薬師堂」がその後、当地の阿弥陀堂と合併してやがて惠林寺となり現在に至っています。
幕末に熊澤紹提尼が阿弥陀如来及び薬師如来に仕え、明治九年に堂宇を建立し、自ら開基となり瀬部阿弥陀堂と称しました。その後、稲葉胡亮尼続いて稲葉惠忍尼がこれを継承しました。以上の三尼はともに一宮市笹野の臨済宗妙心寺派妙光寺に属する尼僧でした。惠忍尼に身寄りなく、一宮市両郷町、曹洞宗両郷寺住職鵜飼玄瑞尼が左右に侍して尼の死に水をとり、この因縁により玄瑞尼の門人山田玄翁尼が稲葉姓を名乗って相続し、昭和十六年十二月曹洞宗瀬部教会を設立、同二二年二月大應山恵林寺と称しました。同二六年十一月玄翁尼晋山結制を修し、同二七年二月旧延命寺本尊地蔵菩薩を境内に迎え、同二九年三月には本堂を再建して入仏式を挙行し、本寺禅林寺二三世臥雲活龍大和尚を開山に拝請しました。昭和三五年十一月、玄翁尼の両郷寺に転住するにあたって、稲葉玄梁尼がこれを継ぎましたが、同五四年二月寂して空席となりました。そして同五五年十月、当寺としては初めての男僧で私のお師匠様である関口道潤が晋住するにあたり、恵林寺の一大転換期を迎えました。
お師匠様が京都からこの恵林寺に来て以降、本堂修繕、庫裡建設、薬師堂建立、墓地設置、駐車場整地など伽藍の整備を積極的に行いました。そして何よりも大きな変化は、従来檀家がなく、信徒のみの恵林寺が、檀家を擁する寺となり、また「桃李禅苑」としてこの地方の堅実な坐禅道場へと発展してきたことです。全国各地の寺院には様々な縁起や歴史そして多くのドラマがありますが、かつて誇り有る歴史と宏大な伽藍を擁した寺もやがて凋落していったものも多くあります。しかし恵林寺にはそうした歴史が明確でなく、しかも過去において特筆するべき事例も乏しいのですが、現代において発展し続けており、将来もまた期待すべき寺院だと言えるのではないでしょうか。 


恵林寺住職 関口興顯
 曹洞宗布教師 
 産業カウンセラー
 東北大学文学部史学科東洋史専攻卒業
 愛知学院大学文学研究科宗教学仏教学専攻修了
 昭和51年 群馬県出身
 平成10年大学卒業後、平成18年まで一般企業勤務
 平成19年出家し、平成23年まで大本山総持寺にて修行
 平成23年恵林寺五世関口道潤の弟子となる
 平成27年恵林寺住職就任